チベットの寺院での臨死体験と五体投地の苦行 | 生きる喜びと思いやりの重要性

チベットの寺院での臨死体験と五体投地の苦行 | 生きる喜びと思いやりの重要性

天宮光啓法話集

 

チベット仏教で体験した臨死体験

 

昔、チベットで驚くべき経験をした。

 

それは、「臨死体験」というものだ。

 

この体験は私の心と魂に深い感動を与え、今もなお多くの影響を与えている。

 

そこで、今日はその貴重な体験について話してみたい。

 

もうかれこれ20年前のことになる。

 

チベットのある寺院で「五体投地」を繰り返す礼拝修行をおこなった。

 

私が訪れたその場所は、標高が4千メートル近くにあって、酸素は私たちの住む場所よりはるかに薄い。

 

とにかくじっとしていても息苦しい。

 

数分おきに深呼吸を何度も繰り返し、酸欠で頭がくらくらした。

 

そんな場所で五体投地を何度も繰り返す礼拝の修行は、

 

命の危険と背中合わせ、まさしく命がけの苦行だった。

 

何日目かの時、自分の意識がだんだんと遠のいていくのを感じた。

 

しばらくは何も覚えていなかった。

 

気づくと、その場に丸くなってうずくまっていた。

 

その後、ラマ僧から「臨死体験」の法話を聞く機会があった。

 

チベット仏教では、死は生命の一部として捉えられている。

 

そのため、臨死体験は私たちが死への理解を深め、生きることへの意識を向上させる重要な要素だと知った。

 

法話では、臨死体験を通じて、自己の本質を知り、慈悲と忍耐の力を育むことの大切さを学んだ。

 

私の場合、五体投地の礼拝行を繰り返しているうちに、自己の限界を超え、偶然「臨死体験」をした。

 

宇宙の広大なエネルギーに溶け込むような、何とも言えない不思議な感覚だった。

 

すべての時間や空間の制約が消え、目を閉じているのに、周りのすべての事象が手に取るように分かった。

 

これまでに感じたことのない平静と喜びに満ちた瞬間だった。

 

たとえるなら、ランナーズハイのような、体が宙に浮き、どこまでもどこまでも、ずっとずっと走り続けることができる、そんな幸福感に包まれた。

 

その体験を通じて、私は死への恐れを捨て、生きる喜びを深く理解できた。

 

そして、他者に対する思いやりと共感の重要性を再認識した。

 

この体験を忘れずに、これからも日々の生活や、仏道修行に取り入れていきたいと思う。

 

そして、「生きていることの素晴らしさ」を、一人でも多くの人に伝えていきたい。

 

私たち一人ひとりは、選ばれて生まれてくる。

 

かけがえのない尊い命、唯一無二の存在として。

 

合掌 天宮光啓